読書の年頃

電車の中で本を読む人、

最近はほとんど見かけませんよね。

中高老年も含めほとんどがスマホを見ています。

かくいう私もメールやニュースをチェックしたり、

電子書籍ですらスマホで読んでいます。

 

活字離れ、紙離れが進んでいるわけですが、

私が本を読まなくなったのは他にも理由があると、

先日、はっと気づきました。

たまたま買ったばかりの文庫本を読もうと開いたら、

老眼で文字が見にくく、思わず、

親指と人差し指で拡大(ピンチアウト)したくなりました。


まだ老眼鏡なしで読むことは読めるのですが、

かすみなども含め、若い頃より明らかに読みづらい。

暗いところでは、なおさら読みづらく、

読むことが無意識の行為ではなく、

ちょっと意識して頑張って読まないといけないのです。

「読める」か「読めない」かといえば「読める」けれども、

「読みづらい」から「読まない」「読みたくない」。

本を読むこと自体が面倒になっている。

老眼鏡を出したりしまったりしなければならないとしたら、

読書がもっと億劫になるでしょう。


老眼というのはこういうことなのだと痛感しました。

活字なら次から次に意識せず何でも読んでいた頃、

それがどれだけありがたいことか知っていれば、

もっともっと、読書をしておいたのにと思います。

せめて、いまのうちに、せいぜい読書に励まなくては。