50代になると多くの人に訪れる問題のひとつが、
親の看護、介護だと思います。
私にも80歳になる両親がいますが、
父はここ数年、入退院を繰り返しており、
そのたびに、いろいろ学び、考えさせられます。
歳をとるということは、少しずつ確実にどこかしら弱って、
壊れていくことなのだと、そして死に向かうことなのだと実感します。
最初に驚いたのが、父が入院することによる母の弱り具合。
毎日、見舞いに通い、留守宅を掃除し退院を待つ非日常に、
心身ともに疲れてしまい、自分のための食事を作らないのです。
入院し回復に向かう父と反比例して母が衰弱していきます。
私も仕事の時間をやりくりして、食事を作ったり、
母を外食に連れ出したり、もちろん父の見舞いに行ったりの日々。
2回めの入院からは母も私も少し慣れた気がしますが、
家族の1人が倒れるというのは想像以上に大変なものですね。
そして、父の子供のようなワガママを目の当たりにしたのも、
入院している期間でした。
元気になりだすと、早く退院したいと先生に無理を言ったり、
特に母には八つ当たりのように、ワガママを言います。
家からアレを持ってきてくれ、水を買ってきてくれ、
新聞を届けてくれ、汚れものを持ち帰ってくれ‥。
母のいないときに、「母さんも大変なのよ。もっと感謝して」と言うと、
父も「わかってる」と答えるものの、結局、行為は変わりません。
実は今も前立腺肥大の手術で入院しています。
手術は無事終わりましたが、あちこちに管をつながれ、
浣腸のあとのケアとしてオムツを穿かされ、
動きがままならない状態で、相当にストレスなのでしょう。
母は、さすが夫婦、割り切って、「はい、はい」と世話をしています。
私は、ときどき、むっとしながらも、母の手助けのつもりで見舞いに行きます。
母と私が病室にいるとき、ウンコのニオイが漂いました。
「あ、いま、オムツに排便したんだ」とわかった瞬間、
「これって赤ちゃんのオムツと同じじゃない?」と思いました。
考えてみると、赤ちゃんのころも、子供のころも、ずぅーっと、
ままならないこと足りない部分を親に面倒を見てもらっていたわけです。
それなのに子供、つまり私はいつも世間知らずでワガママでした。
世話をしてもらうことを当たり前に思っていて、
きちんと感謝をしていたかさえ疑問です。
それでも親が見返りを求めない無償の愛で守ってくれたように、
いま私も父に接すればいいんだと思いました(できるかどうかは別ですが)。
歳をとると子供に戻ると言いますが、
親の看護と子育てはとてもよく似ている気がします。
とても面倒だし大変だけど、ちょっとしたことに喜びを感じます。
子供だったら言葉を覚えただけで、親だったら血糖値が安定しただけで、
こちらまでうれしくなります。
違いは、これから成長をしていく未来のある子供と、
死に向かっていく親という点でしょうか。
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智太郎 (木曜日, 11 12月 2014 13:03)
そうですね?年をとるとお年寄りの心は幼児の心に近くなってくると聞きますものね?はじめまして。僕も週に2度、姉も週に2度、病院へ見舞いに行ってます。子なし夫婦の我等夫婦にとっては可愛く見え、美しくも感じてます。
kokokaranote (金曜日, 12 12月 2014 12:27)
智太郎さん
美しくも感じるーー本当にそうですね。
Life is beautiful!
いまここにいてくれることに感謝して、親孝行したいです。